layer 02

インターネット創造期

1993年〜1994年
日本語コンテンツがゼロに等しかった当時、
その頃のインターネットのコンテンツとコミュニケイトの仕方、
その頃のPCとOSやブラウザを紹介しましょう。
 
 
1993年・1994年
(コンテンツ編)
  
 layer01でお話した通り、日本語コンテンツが皆無だったこの頃、企業のホームページの姿はなく、日本語コンテンツにおけるリーダー的役割は大学(院)生が握っていました。 

 その頃は今でこそ、MSのFrontPageやIBMのホームページビルダーなどのホームページ作成ソフトがあり、ワープロを打ちこむように、意識せずにhtml文が書けますが、その頃はまだタグと呼ばれる、html言語を打ち込みホームページを製作していました。 

 そんな時代に生まれてきたコンテンツは、さすがインターネットをやっている(この頃インターネットをやっている人は、いろいろな意味で特別な人です)大学生らしくサブカルチャーに長けたコンテンツが出来あがっていきました。 

 当時はアニメーションで言うとセーラームーンR・Sが放映されていたこともあり、アニメコンテンツの中ではセーラームーンのホームページが一番量がありました。 

 情報量もなかなかで、主にデータベースを目的としたホームページでしたが、今ほどスキャナー等の値段も安くはなく、一般の人が持つほどには普及していなく、文字をベースとしたホームページがほとんどで、画像などは皆無でした。 

 その上、外国語コンテンツとの差はすさまじく、情報の新鮮さは失われていても(初期セーラームーン)そのトータルの情報量は上で、日本が文字データベースなのに対し、外国はスキャナーやビデオキャプチャーで取りこんだ画像をふんだんに利用し、場所によっては「au」や「wav」で音楽ファイルを提供しているところもありました。 

#もちろん今のようにmpeglayer3などという技術はありません。CDクオリティーなどは夢のまた夢、AMモノラルラジオの音質でも、感動したものです。

 
 
1993年・1994年
(コミュニケイト編)
 その頃は今でこそ掲示板やチャットという技術がWWW上でもごく当たり前に行われていますが、当時見知らぬ人同士が話し合う場所はネットニュースと呼ばれる場所で会話を楽しんでいました。もちろん今でもありますが、当時ほどの活気はなくなったように見受けられます。 

 当時のネットニュース&E_mail上の常識として、文章の始めにを付けた方法の自己紹介と所属組織を書くのが風習でした。これは、インターネットがそもそも研究用のネットワークであった頃の名残でもあり、所属組織を公に明らかにすることは当たり前でした。 

 また、今でも付けている人はいますが少数派になってきた感のあるsignature(シグネイチャー)、当時はごく当たり前につけられており、そのルールというものも存在していました。 

 例えば、岩倉玲音さんという人物が電気通信大学電気通信学部電子情報学科に所属しており、今4年生で橘研究所に所属していたのならば、 

こんにちは、岩倉@電通大です。 

 という風な書き出しで始まり、signatureは4行以内というルールでで書かれました。 
(注)これは架空のsignatureです。

電気通信大学電気通信学部電子情報学科4年生 
 岩倉 玲音  (Lain Iwakura)  
 橘研究所所属   I like serial experoments lain. 
E_mail Address      [email protected] 

 今、こんなに個人情報をこれほど垂れ流しするほうが珍しいくらいですよね、でも当時はこれが普通でしたし、悪用する人物もいなかったことを考えると、この頃は非常にセキュリティなどに穏やかだったことがうかがえます。

 
 
1993年・1994年
(PC・OS編)
 まだパソコンも居間ほどには普及してはなく、まだビジネスマンかマニアの持つ代物だと思われていたパソコン、性能のほうも、エントリー機のCPUはIntelだと486SX/DXの25MHzや33MHzが標準、ハイエンド機に486DX2の66MHzが使われ、ペンティアムは100万円以上するサーバーに使われていました。 

 また、時代に見捨てられた感のある386ユーザーはCyrix社のIntel486の互換CPUに乗せ変えて486CPUの速さを得ることがちょっとしたブームのようにもなっていましたした。 

 もちろんOSはWindows3.1、というよりか、その頃はインターネットにつなぐのならばWindowsよりもMacであり、環境さえあればUNIXが一番という意見が大半でした。 

 メモリは8Mもあれば十分動き、どちらかというと当時はWindowsよりもDosアプリがいかに快適に動くかを求め、640kbの壁を破るべくconfig.sysをいじっているほうが楽しかったのです。 

 WindowsはWinsockがWindows95やWindows98のように標準ではついておらず、シェアウェアのトランペットWinsockをわざわざ導入し、面倒くさい設定をした上で、ようやくネット上に接続していました。 

 しかし、WWWを見るブラウザはMosaicであり、テーブル表示などはもちろん、文字に色をつけるのでさえ出来ず、その表現力は、今のブラウザと比べれば白黒TV以下の表現力といってもよいでしょう。 

 今でこそ、インターネットという言葉はWWWを指した言葉となっていますが、昔はどちらかといえばtelnetやgopherやirc、ネットニュースなどの文字ベースを基本とした、ネット情報を得るものがインターネットという言葉を指していていました。

 
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